「ボカ〜ン!」はリズケンがお贈りするエンターテイメント・マガジンです。
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・カリエンテカリエンテ4月号
 今回はサルサがロマンティックになってしまった話である。あたしのサルサなロマンティックの思い出といえば、レストランでの出来事だ。
 結婚式に出席したときのこと。幼いあたしは、まだナイフ・フォーク初心者であった。その2つで、海老の殻をむいたり、メロンを切ったりと魔術師のようなことは出来るわけもない。そこへ、でっかいロブスターが運ばれてきた。
 「わーい。えびだ、えびだ。」と喜ぶあたしのロブスターに、ウエイターの人は、たっぷりとサルサ(ソース)をかけてくれた。
 「いっただっきまぁす。」
 まわりは、「太郎さん、花子さん、おめでとう〜。」などと祝福していて、新郎新婦は目をきらきらさせて見つめ合っていた。その時、ナイフで切ろうとしたあたしのえびは、勢いよく飛び跳ねて皿から逃げ出していってしまったのである。フォークでがっつりと押さえていなかったのが原因だと思われるが、その形相があまりにもおかしかったのか、同じテーブルの人達は、一瞬あっけにとられた後、げらげらと笑いだした。
 白いテーブルクロスは、サルサでべったりと汚れてしまい、結婚式のロマンティックなムードは、一気に崩れ去ってしまったのであった。今思い返しても、なんとも恥ずかしい出来事である。とほほほほ。

・サルサはどうやって生まれた?_その3

サルサの変化

 サルサ界を独占状態にしていたファニアは、80年代に入ると、内側から崩れ始めた。税金絡みの問題を抱えているという噂が流れたほか、ルベーン・ブラデスがエレクトラ・レーベルへ移籍し、ロックの影響を受けたバンドを結成したり、ウィリー・コローンもRCAへ移籍したりしたからだった。
 その頃のし上がってきたのが、トニー・モレーノ率いる、TH-ロドベンである。
 モレーノは必ずしもニューヨーカーでない、プエルトリコ系の若手シンガーを獲得し、猛烈なマーケティングで彼らをトップアーティストにした。
 1984年、ファニアのプロデューサー、ルイ・ラミレスと、ピアニストのイシドロ・インファンテ、歌手のレイ・デ・ラ・パス、そして、ホセ・アルベルトと共にデスカルガを行い、ロマンティックなスペイン語の歌詞がついた曲を作り出した。ここから生まれたアルバムはヒットし、プエルトリコ人バンドのコンフント・ネチャイはこれを真似た。このバンドのリードボーカルを務めていたエディ・サンチアーゴは、86年にソロアルバムを発表し人気を集め、この新しいスタイルは「サルサ・ロマンティカ」と呼ばれるようになった。
 そして、新進のプエルトリコ人歌手達は、このロマンティックな曲をより直接的な「サルサ・エロティカ」というスタイルへ発展させ、成人指定歌詞をつけた曲を歌ったラロ・ロドリゲスは、ヒット曲を飛ばすようになったのである。
 歌手達が人気を集めるにともない、セルジオ・ジョージ、イシドロ・インファンテ、ルイス・ペリーコ・オルティス、等のプロデューサーやアレンジャーが力をふるい始めたのもこの頃だった。

 勢いがなくなったファニア・レーベルに変わって、ニューヨークサルサの先頭に躍り出たのは、現実即応型のラルフ・メカード率いるRMMレーベルである。

 80年代終わりには、依然ロマンティックなサルサで溢れていたが、ドミニカの不況の煽りを受けてニューヨークに流れ込んできたメレンゲバンドが状況を一変。ニューヨークのワシントンハイツはドミニカ人街となり、地元のクラブはメレンゲ一色のプログラムに切り替え、サルサバンドはメレンゲに転じることを余儀なくされてしまったのである。そこでラルフ・メルカドはRMMレーベルにメレンゲ部門を設け、地元のバンドと契約をしたのだった。
 RMMは他にも、ジャズ、ロック、ダンス、そしてサルサの各部門を設け、数々のヒット曲を生んだ。
 
 ロマンティックなサルサが流行している傍ら、パンチの効いたサルサを取り戻そうと格闘していたピエニストのセルジオ・ジョージが、RMMの専属プロデューサーとして加わってから、サルサの新時代へ突入した。
 サルサを聴かない、ヒップホップやラップで育った若い世代が出て来たのもこの頃で、ジョージが目に付けたのはマークアンソニーだ。ロックや、ラテンヒップホップの影響を受けている、新しいサルサを歌った彼は大スターとなった。ハウスミュージックからの転身組にはインディアもいる。
 96年、独立していったジョージに変わって入ってきのが、イシドロ・インファンテである。
 インファンテは、マークアンソニー、インディア、マイケルシチュアートなど、若手歌手のグラミー賞レベルの作品や、英語版サルサ、セリア・クルースの作品など、幅広いスタイルに 取り組んでいったのだった。


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