・キューバのサルサ
革命後
ソ連崩壊に伴う冷戦終結で、アメリカとキューバの関係にも変化の兆しが出てきた。革命後、キューバのソンは独自に進化をし、他国のサルサとはまた違った魅力を持つ音楽になっていた。ここで、革命以後のキューバ音楽の進化についてみてみよう。
1959年、新たなダンスブームがきた。エドゥアルド・ダビッドソンはチャチャチャをよりファンキーにアレンジしたパチャンガというスタイルを発明。キューバの若い世代はコレに夢中になった。このパチャンガを皮切りに、覚えきれないほどたくさんのダンスが流行したのである。
1965年にエンリケ・ボリンカスティーニョが生まれ故郷のサンティアゴ・デ・クーバでピロンに火をつけ、打楽器奏者達を50人ほど集めて、ブラジルのサンバチームのように町を練り歩いた。ページョ・エル・アフロカンが発明したモザンビーケはニューヨークでもヒットし、流行は90年代まで続くこととなる。
同じ頃、カルロス・プエブラは新時代のトローバのための基礎を築いており、チェ・ゲバラの一生を讃える感動的な歌をうたった。ICAIC(キューバ映画協会)の学生だったサラ・ゴンサーレス率いる一団は、プエブラの歌もききながら、ロックや、アルゼンチン、チリなどのシンガーの影響も受け、ギター伴奏だけの自分たちの歌を「ヌエバ・トローバ」とよんだ。このフォークロック的なヌエバ・トローバ運動はどんどん大きくなっていったのだった。
ハバナでは、エリオ・レベがチャングイというリズムをもってサンティアゴ・デ・クーバから来ており、新たにバンドを結成。その中にベーシストのファン・フォルメルがいた。彼はしばらくしてレベのバンドやめ、1969年にロス・バン・バンを結成し、優雅なチャランガスタイルにエレキベースと、ドラムセットを用い、機敏なチャンギートのパーカッションで引き締めたソンゴという、アフロキューバンリズムを発明したのである。
このロス・バン・バンガ軌道に乗りだした頃、ICAICはサウンドトラックを制作する部門を開設することととなった。チャンギートと一緒にここで働いていたのが、ピアニストのチューチョ・バルデスで、彼はパキート・デ・リベラ等とエル・テアトロ・ムシカル・デ・アバナという楽団で仕事をしていた。この楽団は1970年に正式なバンドとして活動することとになり、これがイラケレの誕生である。イラケレはアフロキューバン・フォルクローレを追求し、他の音楽家達の手本となり、80年代に全盛期を迎え、国内外でひっぱりだことなったのだ。 |