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・カリエンテカリエンテ7月号

キューバンサルサ

・新世代のミュージシャン

 1988年、イラケレを脱退したフルート奏者のホセ・ルイス・コルテスが、新しいグループを作り、NGラ・バンダと名乗った。ラ・バンダの攻撃的な歌は、特に黒人の若者に受け、ラジオのコンテストを主催した。そこで選ばれたのが、ルンバを得意とするトニー・カラと、洗練されたソネーロのイサック・デルガードである。
 彼らの音楽は、ダンサブルな演奏と高度なテクニックで、ジャズでもサルサでもなく、その両方を取り入れたスタイルであった。このスタイルは「サルサ・ドゥーラ」と呼ばれ、大人気となったのである。

 80年代のバンドからは、新しいソロイスト達も出てきた。NGラ・バンダからはイサック・デルガードが、アダベルト・イ・ス・ソンからはベニー・モレー以来の人気者となったパウリートFGが飛び出したのである。若手では、当時医学校に通っていたマノリンがデビュー。医師の免許を持っていることでバンド名も「エル・メディコ・デ・ラ・サルサ」とした。

 90年代にキューバに進出したバンドの中で特に注目を集めたのは、なんといってもバンボレオとデビッド・カルサードのチャランガ・アバネーラだ。彼らのスタイルはサルサ・ドゥーラよりも、もっと複雑で激しいリズムを持った「ティンバ」として流行し、今でもその人気は全く衰えていない。
 バンボレオもチャランガ・アバネーラも音楽的な違いはあるにせよ、どちらも大胆なスキンヘッドのシンガーがリードヴォーカルを務め、ラップの歌詞をキューバのリズムと織り交ぜたのだった。

 チャランガのカルサードの生意気ぶりは有名で、97年に開催された音楽祭でマリファナを吸っていることを自慢げに話したり、自分のファンをそそのかし、ダンスをエロティック踊らせたりした。そのおかげでチャランガ・アバネーラは半年間の謹慎処分になり、ヨーロッパツアーからも外さることになってしまったのである。それでも彼らの人気は、謹慎が解けてからも変わらないようだ。 


 一方、98年にライ・クーダーが手掛けた「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」がグラミー賞を獲得するなど、伝統的なキューバ音楽も世界的に注目を浴びた。
 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブは、参加したミュージシャン達にとってはまるでおとぎ話のようである。ほとんどが70歳を過ぎた人達で、コンパイ・セグンドがローカルなギターバンドをやっていたのと、オマーラ・ポルトゥオンドがピアノバーで歌っていたくらいで、ゴンザーレスもイブラル・フェレールもすでに引退していた。
 それが、ライ・クーダーがキューバにやってきてからあっという間に、アメリカ、ヨーロッパをツアーし、カーネギーホールの舞台にまで立つことになったのだ。
 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の次に発表された、トランペットがリードするブラス中心のキューバンサルサを録音した「アフロ・キューバン・オールスターズ」も同じく注目を浴びた。


  サルサは、アイドル化やポップ化、原点回帰など、更に進化と多様化が進んでいる。今後、サルサはどんな姿になるのか実に興味深い。


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