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・カリエンテカリエンテー9月号
プエルトリコの音楽

 コロンブスは1493年に、この島へ上陸。サンファン・バウティスタ(洗礼者聖ヨハネ)と命名、後に「プエルトリコ」と改め、首都をサンファンとしたのである。
 プエルトリコとキューバとでは、アメリカの関与の度合いに大きな違いがあり、1898年、米国はスペインとの独立戦争でプエルトリコを援助し、占領した。そして1917年にジョーンズ法が出来上がったのだ。プエルトリコ人は本土を自由に行き来できる権利があるが、英語を話す義務が課せられ米軍で兵役を務めなければならなかったのである。これによってニューヨークにバリオ(移民街)が築かれ、スパニッシュハーレムが発展していった。1952年にはプエルトリコは米国の自治領になった。
ダンサ

 プエルトリコの音楽の中で最もヨーロッパ色の強いダンス音楽。17世紀から18世紀に大流行した英国のカントリーダンスはフランスに広まりコントラダンス、スペインではコントラダンサと呼ばれ、カリブ海の植民地へも伝わっていき、プエルトリコに到達したのは19世紀ごろである。
 曲の形式は、最初に8小節単位のパセオと呼ばれるテーマがあり、続いて16小節のテーマが演奏された後、最初のテーマに戻るというのが典型的。途中のテーマ部分が何度も繰り返されて踊るのだが、あまり汗をかかずに踊れるテンポということで人気が出たという。
 キューバではこれに新しい要素が加わり、ダンサからダンソン、ダンサアバネラへと変化していき、他のカリブ諸国と同様に下火になっていった。しかしプエルトリコでは19世紀後半の反スペイン運動の中で作られたダンサ形式の「ラ・ボリンケーニャ」が後に国歌になるほど、長く愛されている。

ヒバロ

ヒバロとは山間部に住むスペイン系の農民を指す。このヒバロ音楽を奏でるのに欠かせないのはクアトロという弦楽器とグィロ、場合によってはボンゴが加わる。ヒバロの歌詞はセイスとアギナルドというふたつの主なスタイルがある。
 セイスは複雑な形式の歌で、即興または予め決めておいた歌を歌う。元々6組で踊った形式からきたといわれている。
 クリスマスソングであるアギナルドは、今でも仲間達が夜中に友人の家へ訪ねて酒や料理を振る舞って貰い、これを歌うという習慣は続いており、年末のプエルトリコには欠かせないものなのだ。

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