○コロンビア
コロンビアはコロンブスの名を採って命名されたが、コロンブスが訪れたことはない。5世紀に渡るスペインの侵略の間この地域は、パナマ、エクアドル、ベネズエラと合わせて「ヌエバ・グラナダ」と呼ばれていたのである。
1980〜90年代にかけてコロンビアの経済を活気づけてきた輸出品は、カーネーション、コカイン、クンビアである。このクンビアは形を変えながら広く分布し、トロピカルミュージックとしてサルサやメレンゲなどと共に大きな位置を占めている。
<コロンビアの歴史>
コロンビアの北部には数多くの先住民が定住していた。サンタマルタ周辺のアルウワコス部族は儀式や祭の際に、太鼓やマラカスを使いミミズクなどの声を真似ていた。また、
マグダレナ川周辺のチミラスという大部族は特に音楽好きで、太鼓、笛、シンバルなども踊りと共に使用していたと言われている。
最初のスペイン人征服者は1499年、現在のベネズエラ国境近くの、グアヒラ州カボ・デ・ラ・ベラに船を付けた。このスペイン人の侵略は様々な音楽やダンス、それに伴いギターやピアノ、ハープなどの楽器ももたらしたのだった。
侵略と共に、このコロンビアへも大人数の奴隷が送り込まれているが、主に鉱山がある場所に集中している。奴隷のほとんどは、セネガル、ナイジェリア、コンゴ、アンゴラなどの青年で、豊富な労働力だけでなく、新しい文化ももたらした。
彼らの歌は、1人の歌い手が始めのフレーズを歌い、グループがそれに答えるといった掛け合いの形式で行われる。メロディ楽器は殆ど用いられず、リズムが最も重要とされていた。そして彼らの歌や楽器は、その後のコロンビアの音楽に大きな影響を与えたのだった。
<新しい音楽の発生>
先住民と黒人はスペイン人の支配のもと、新たな宗教や言葉、文化を押しつけられた。奴隷としての共同生活から、新しいヨーロッパ文化を共有し、二つの民族が統合されたようである。
それによって結果的に3つの異民族の混合に繋がり、混血が誕生したのだ。それがメスティソ(白人とインディオの混血)、ムラート(黒人と白人の混血)、サンボ(黒人とインディオの混血)である。
白人がもたらした最も大きな影響はカトリックといえるが、その宗教儀式すべてに音楽とダンスが関連している。また、彼らが行う祭りや儀式での踊りもその土地独特のリズムが出来上がった。こうして文化の融合は、新たな音楽を生み出していったのだ。
こうして生まれたのが、La Gaita(ガイタ)、La Tambosa(タンボラ)、La
Cumbia(クンビア)、El Porro(ポロ)、El Bullerengue(ブジェレンゲ)、Vallenato(バジェナート)である。 |