○ブラジル
◎サンバ
スタイルはアフリカのバントゥー系の人種が持ち込んだ舞曲から発生した音楽、ルンドゥーからきていると言われている。
丁度この頃、共和国制となったブラジルが奴隷制を廃止したことが大きく関係している。すでに都市となっていたリオに、ブラジル各地から黒人達が住み着いた。それらの人々はチア=シアータ(シアータおばさん)と呼ばれた女性のサロンに集まり、当時リオで盛んだったマシーシというダンス音楽や、ルンドゥーなどの歌曲を歌い踊ったりして楽しんでいた。
このサロンで創られた音楽を最初に商業化した曲「ペロ・テレフォーニ」。サンバの名として登録された1916年12月16日がサンバ誕生の日なのだ。
基本スタイルは二つのうち後の方にアクセントのある4分の2拍子。
世界中にサンバの名を知らしめることとなったのはリオを中心とするカーニバルだろう。
1920年に入り、都市化の波に追いやられた黒人を中心とする低所得者がサンバ集団を作った。これが「エスコーラ・ジ・サンバ」の始まりである。「エスコーラ・ジ・サンバ」とはサンバ学校という意味だが、町内会の方が意味合いは近い。
1928年、リオに最初のエスコーラ・ジ・サンバ「デイシャ・ファラール」が誕生した。
毎年、2月から3月に行われるカーニヴァルは、エスコーラ・ジ・サンバがパレードを競う競技会でもある。
このエスコーラ・ジ・サンバが誕生して7年、1935年には「グレミオ・ヘクラチーオ(娯楽団体)」として、その存在が公に認められ、それ以降競演は年々拡大し、今ではマルケス・ジ・サプカイ通りに常設会場を持つに至っている。
各エスコーラの人数も数十人から数百人だったのが数千人にまで膨れあがり、観光産業の中心的役割をも担っている。
リオのカーニバルでパレードするエスコーラ・ジ・サンバの数は60以上。規模や実力によってパレードの場所や日程が振り分けられるのだ。このパレードはコンクール形式であり、最下位になれば自動的に下のグループの優勝エスコーラと入れ替わりとなる。
「グルーポ・エスペシアル(スペシャル・グループ)」の枠は16。このグループともなるとエスコーラの人数は3000〜5000にもなり、大きな山車が登場するのだが、この山車、人間の手によって押されて進む。有名歌手の参加も多く、そのアーティストによって点数が高くついたりするようである。
各エスコーラは毎年テーマ(エンヘード)を決め、それに基づいて作ったテーマ曲(サンバ・エンヘード)を演奏し、休み無く歌い踊りつづけてパレードをする。
毎年末には翌年のサンバ・エンヘードを集めたアルバムが発売され、パレードの出来に大きく左右する。事前にヒットすれば観客が大合唱をしてくれ、パレードする側の志気も高まるという訳だ。
サンバ・エンヘードの演奏には、2拍子を刻むスルド、スネアドラムのようなカイシャ、ヘピニケ。クイーカや振って音を出すガンザ、シキシキ、ショカーリョ、ベルをいくつもつけたアゴゴなどが使われる。 |