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(テキスト:石川 武)

今月の偉人さん  ピーター・アースキン

Peter Erskine
(ピーター・アースキン)

 ウェザー・リボートやステップス・アヘッドなどで活躍。ソロ・アーティストならびにコンポーザーとしても力を発揮しており、リーダー作も10作を越えている。現在は自己のレーベル「FUZZY MUSIC」を主宰。

ピーター参加アルバム
Funky Strut
Manhattan Jazz Quintet
NIGHT PASSAGE
WEATHER REPORT

あのときの感動は・・・
 皆さん、あけましておめでとうございます。って、もう言ったか。
 さて新春(だから遅いって)第一弾の偉人さんは、新ネタで行きましょう。新春早々ネタを提供してくれたのは、あのやさしいやさしいジャズ・ジェントルマン、アースキン氏です。
 私はピーターとは2度ほど会う機会があったのですが、一度目はやはり、かのヤマハ・ビッグ・ドラマーズ・キャンプでした。そして今回のネタも、ネタのそのまたネタはこのキャンプ時にまかれていたのでありました。

 記念すべきドラマーズ・キャンプの第一回の海外講師が、以前にも紹介したコージーと、このアースキン氏だったわけですが、問題のネタのそのまたネタはキャンプの最終日の夜、海外講師の最後のセミナー時でした。
 3日間興奮の坩堝だったことを受けて、ピーターは最後のセミナーでドラム・ソロを演奏してくれました。演奏前に一言おっしゃいました。

「今回のキャンプは本当にすばらしかった。僕にとっても思い出深いものになりました。だから今夜は最後の夜を記念して、皆さんに“サヨナラ”という題名のドラム・ソロをお届けしましょう。」

 場内最後の夜の寂しさと、貴重な一夜をビッグ・ドラマーと過ごせる幸せを一度に感じていました。

 演奏は静かなシンバル・レガートから始まります。いわゆるフュージョン・ドラマーのそれとは正反対、静かなクラシック音楽を思わせるような柔らかなサウンドでした。途中、少々ラテン・フィールで盛り上げ。最後はまたジャジーなシンバル・レガートで幕を閉じたのです。

 場内、われんばかりの拍手・・・の前に、しばしの静寂とすすり泣きの声すら聞こえてきます。集まったドラマーたちの何人かが、感極まって涙していたのです。参加者の半数以上がコージー目当てのハード・ロック野朗だったことを考えると、かなりほほえましい情景です。
 皆純粋なんだな・・・。日本人講師陣も涙を流さないように必死の形相です。いやー、本当に感動的でした。


 さて話は変わって時は2002年正月、ジャズライフ復刊に伴う一発目の仕事がピーターとデニス・チェンバースのインタビューです。私はピーターに会うのはキャンプ以来。当時小僧だった私なんか覚えてないだろーなー、などと考えながらホテルへ向かいました。
 ジャズライフのスタッフとピーターの部屋をノックして、久々のやさしい顔が部屋の中から出てきました。僕の中ではちょっとした感動でした。
 ピーターは顔見知りのスタッフと挨拶すると、僕の顔を見て

「ハロー、元気だった?初めてじゃないよね君と会うの?」

とたずねてきました。《覚えててくれたんだ、僕の顔・・・》
 僕の中でこの再会が大きな感動に変わりました。

「そうです、ヤマハのキャンプの時に・・」
「そうかそうか、いやー、あのキャンプは楽しかったねー」
「そうですねー、あのときのピーターさんのソロは感動的でしたから。覚えてます?あのときのソロにピーターさんがつけた名前?」
「えっ?名前?そんなのつけたっけ?なんてつけた?」
「キャンプの最終日だったから、“サヨナラ”ってつけたんですよ。思い出しました?」

するとピーター氏、


「全然・・・。」・・・・・・・


あんなに感動的だったのに、ウイスキーのコマーシャルみたいな落ちだ。
でもピーターさんは言っていました。

「ドラム・ソロは世界各国で色々なシチュエーションでやってるからね、数も数えられないくらい。頭の中でごっちゃになっちゃってるんだよキット。」

 そりゃそうだわな。僕なんかの状況で考えちゃいかんよな。失礼しましたピーターさん。
その後のインタビューはバンドメンバーも途中から加わって、とても楽しいものでした、内容的にもね。興味のある方は、ジャズライフの2月号をご覧ください。
 
今月の一言

「全然・・・。」

解釈・・・偉人さんの感動レベルは常人とは違う・・・のかも?

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